3×8=24 【くだらないことを真剣に考える】

くだらないことを真剣に考えて、どーでもいいエッセイを、意味も無く書き続ける。

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ずーっと前に、友達とこんな話をしたのを今になってふと思い出しました。
とある高校で、生徒が「学校の勉強は役に立つのか」と先生に尋ねたところ
先生は答えられなかったとか。 コレ、どうなんでしょう。
あたしには、近々博士号を取得するFという知り合いがいます。
Fは博士号を取る為に行きてる様な人で、
それ以外の事は全て無駄と言い切ります。
不真面目な人とは話すのもムダ、と友達もかなり選り好みするらしいです。
幸いにもあたしはFに認められた様で、
進路のアドバイスをしてくれたりなんかします。

元々あたしは大学院まではイギリスにいる予定だったんですが、
急遽今年(6月)いっぱいで他の国へ移ることにしました。
そのはなしをFにすると、「他の国へ行くなんてムダが多いわよ。
 まず言葉を覚えるまでの時間がムダ、その国の文化に慣れるまでの時間がムダ
 引っ越した先で道を覚える時間がムダ、食べ物に慣れるまでの時間がムダ
 新しい学校に慣れるまでの時間がムダ、新しい友達を作ってる時間がムダ……」
ものすごい勢いでムダムダムダを連発されました。
このままイギリスにいればその分の時間は節約されるのよ――と。
確かに「最短の時間で博士号を取る」ことを目標にするなら
Fの言うことはごもっとも。
でもあたしはそんな目標は持ってませんし、
新しい言葉を覚えたり新しい文化に触れたりってのは
あたしにとっては逆にすごく嬉しいことだったりするんですよ。
つまり、ムダかどうか役に立つかどうかは、
その人の価値観によって変わるってことです。

高校教育に話を戻します。あたしは大学受験をしてません。
初めからするつもりも無かったんですが、受験生の為の補習授業を取ってました。
「あんた、なんで補習受けてんの?」なんてしょっちゅう言われてましたし
周りからは無駄な行為に見えたんでしょうが、あたしは全く後悔してません。
それが無駄だと思ったことはないし、何より楽しかったからね。
逆に、他の授業で「これは試験に出るぞ。覚えとけば役に立つぞ」と言われた物が
あたしには全くと言っていい程役に立たなかったんですよ。
受験そのものをしなかったから。

他人に「これは役に立つ、これは無駄」といわれたからと言って
それがそのまま自分に当てはまるとは限らないんですね。
それは個人の価値観によっても変わるだろうし、見方によっても変わるでしょう。
特に小・中・高校の様な一般教養課程では、
授業で微分積分を教わっているからといって、
微分積分のみを学んでいるわけではないんです。
微分積分が社会に出てから役立つかと言ったら、
それはほんの一部の人にしか役立たないでしょう。
でも、公式を当てはめて問題を解くなどの練習を通して
応用力を養う訓練であったりとか
もうちょっと大きな枠で見れば、目上の人に対する礼儀、団体行動に必要な協調性
あるいはつまらない授業にも黙って耐え忍ぶ忍耐力をつける訓練であったりと
おそらく役に立たないであろう微分積分を差し引いても
十分意味のあることだとも言えます。
つまるところ、学校の勉強が役に立つのかどうかを訊かれても、
それは価値観や目線によって変わるものだから、
一概には答えられないということですよ。
だから、その先生が生徒に答えて上げられなかったとしても仕方ない、と。

もしあたしが先生の立場だったら、答えはきっと「甘えんな、コノヤロウ」
と言ってやりたいところですが、ここはグッと我慢して
「自分で良く考えなさい」と優しく諭してあげようと思います。
「いつかは役に立つよ」「結局は無駄かもしれないね」
そう言ってあげるのは簡単なことですよ。
でもね、いづれその子が成長して自分なりの価値観を持つようになったとき
「あの時先生はこう言ったけど、やっぱり違った」なんて事になるんですよ、絶対に。
だったら最初っから自分で考えさせてあげた方が良くね?

と、これはいろいろと経験した今だからこそ言えることであって
それを10代そこそこの若僧どもがわかってくれるかといったら、
それはわかりませんが…。
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